続「イギリス馬鹿」よ国を去れ!!(激闘編)  | Saor Eire! Saor Okinawa! weapons don't kill,PRAY FOR GAZA!!

続「イギリス馬鹿」よ国を去れ!!(激闘編) 

今回はイギリス馬鹿の生い立ちをお話します。

地方出身者型

わたしの場合ですが、スポーツが出来ず、外で遊ぶと仲間ハズレ、当然、家にこもってテレビ三枚

典型的なテレビっ子

と、そんなある日ブラウン管に映る奇妙な映像、今まで聴いたことの無い音楽

そう、時代は80年代前半! MTV全盛期でおまけに第二次ブリテイッシュ インベンション(イギリス音楽全盛期)であった。

わたしが見たのはデュランデュランのPVでした。

中性的で神々しいルックス、体を揺さぶるリズム、鼻から抜けるヘンな歌

すっかり彼らのファンになるのならよかったが、他のイギリスのニューロマンティックな方々にもホレこんでGIオレンジやらカルチャークラブやらPVをを聴き(見る?)まくった。

イギリスという国にイカレテシマッタ・・・・
そして

イギリス人は世界で一番 高度な進化を遂げた選ばれた民にチガイナイと・・・

無茶な妄想をめぐらして

ヤツラを崇拝し応援をし続ければ、俺も選ばれた民に仲間入りできるのでは?

なんてことを考えて頭の中で勝手にやつらに仲間入りして自慰な妄想を壮大なスケールでめぐらしていた・・・う~ん童貞
3年後、そんなイカシタやつらもメディアから姿を消した。

そう、

やつらは単なる一発屋集団だった!!


デュランは日本の東芝から10億円を巻き上げ大作PVを作ったけど見事にコケてメンバーが入れ替わって、地味ーな活動しか出来なくなった

あの時の俺の妄想は一体・・・・

で、その後、日本はバブルに突入!お金を手にしたバカ日本人の子供たちは、
ジャパン イズ No、1 と豪語して世界へ繰り出した。

その時はわたしもイギリス熱が冷めて、妄想めぐらしてた時期を反省してたし
イギリスに特別な感情を抱くことも無かった。

しかし日本のバブル留学生の多くは(皇太子殿下が留学されたこともあり)イギリス熱に犯されっぱなしでイギリスを目指し、イギリス馬鹿のウイルスを日本に持ち帰った。
しかも当時のイギリスは悪夢のサッチャー政権時代!

そんな環境で留学した連中がまともな国際人に育つはずも無く
わたしのような地方でくすぶってたヤツらの羨望のマナザシに囲まれながらも、間もなく日本を不況のどん底へと叩き込む・・・・

この帰国子女たちの自慢話と、それを羨む地方の童貞&処女(もちろんブサイク)たちのめぐらすキッショイ妄想がウイルスの温床になっていった・・・

つづく