新「イギリス馬鹿」よ国を去れ!! | Saor Eire! Saor Okinawa! weapons don't kill,PRAY FOR GAZA!!

新「イギリス馬鹿」よ国を去れ!!

今回から自分のことを「わたし」と書くのをやめます。(女性とまちがえられそう・・・)
今度から「小生」にします。

イギリス馬鹿の生い立ち 2

在日編

はじめに小生は在日ではありません。
ただ、長年 大阪に住んでます。
当然、在日さんとよく知り合いになります。
以下は、小生の知り合いを観察して、妄想したものです。あしからず

まず最初に言っておかなければならないことがあります。

国家と民族は全くのベツモノであり、国民すべてが同じ民族の国は世界中どこにもない!!! 

これは世界の常識です。
しかし、これを理解してないのが、我々日本人です。そして在日さんたちです。
在日の家に生まれた子供はきっと悩んだでしょう。

自分の家だけこの国の民族じゃない!!」


そこでディレンマにおちいりアイデンティティーを喪失。
そんな時、80年代前半なら前回書いた

ブリティッシュ インベンション ツーーーー!!
 
90年代ならブリットポップ!!

などのテレビ中心のポップカルチャーに毒される!!

「イギリスは勝ち組国家!!アングロサクソン人は支配階級民族!! ハングルよりアングロ!!!」

なんて叫んだかどうかは知らないがテレビによってイギリスに対する羨望の気持ち抱いたヤツも少なからず(日本人よりも多く)いたであろう(小生の知り合いの在日はホトンドそう)

そんなテレビの影響を受けなくとも学校では英語の授業を習う。
在日の家庭の中には、両親と家でハングル語を使い、学校で日本語を使う子もけっこういたと思うので そんな子たちは昔からしぜんと2カ国語が使えるようになっていったのである。

ひとたび2カ国語を使えるようになったら3カ国語、4ヶ国語を習得するのはみんなが思っているより非常にカンタン。
これは大学でドイツ語、フランス語を同時に勉強してしまった小生の経験からマチガイない。

つまり

在日の子供たちにとって英語の勉強は自分たちが日本人より優位に立てる独壇場だった!!

そして、家が建設業や不動産とかをやっていたなら、バブル時には相当アブク銭をつかんだに違いない。そんな家の子は

そのアブク銭を使ってあこがれの「あの国」へGO!!!だって英語は俺たちの得意技だも~ん!!

てなわけで、イギリスに留学した子も多かっただろう

実際、大きい本屋さんで見かける英検だの、TOEICだの各種英語検定の参考書や、留学案内の本の著者はみ~~んな在日さんばっかりです。多分 彼らはバブル時代の留学生の成れの果てでしょう
(なんで在日ってわかるかって?在日さんは名字を見て見抜ける方法があるんです)

在日さんの中に親英派が多いのは分かった。
でも、それがイギリス馬鹿と何の関係ということですが・・

留学ができる親英派の在日さんは非常に恵まれた環境に育ってます(少なくともバブルまでは)
ところがその後バブルがハジケて仕事や財産を失くした人、留学しても就職したら意味無かった人、そして

留学中は 「バブルで金余りの日本人」に認定されて いい気になっていたけども帰国したら、やっぱり自分が肩身の狭い少数民族であることを思い知ってしまった人

などになってしまい わが身をはかなみ そして イギリスに対する妄想をふくらませてGしてたことでしょう。 中には

「不況の日本なんかイギリスの植民地にでもなっちまえ!!!」

などとヤケッパチな妄想をするヤツもいたハズです。
(日本人ですが そんなことを口走っていたイギリス馬鹿が小生の知り合いにおりました)

ましてや、景気に関係無く、暮らし向きがよくならない在日さんたちが抱く留学できた親英派の在日さんに対する羨望とルサンチマン(この場合は「ねたみ」の意味)は小生のような地方出身者のそれよりはるかに極端なものだったと思います。

テレビにおけるプロパガンダ的なイギリスのポップ カルチャーの垂れ流し

少数民族であることへのコンプレックス

海外に出ることでのコンプレックスからの逃避

富める者に対する(あるいはマジョリティーに対する)羨望とルサンチマン


これらがイギリス馬鹿を生み出す温床になっていったのでした。(ことわっておくけど、妄想)

つづく