差別論争 | Saor Eire! Saor Okinawa! weapons don't kill,PRAY FOR GAZA!!

差別論争



いやぁ、今年の夏は度肝抜かれるような映画がたくさん上映されてるんですが、この映画だけは近年稀にみる「度肝を抜く映画」でございます。

そもそも「おおかみ」という言葉が古代日本で英語のウルフを「大いなる神」として崇めてたことに由来してることからもわかるようにそっち系の人たちのお話がモチーフになっております。

「これが本当のメルヘン、なんつってw」

と言い出して監督がこの映画の企画を立ち上げたのかどうかわかりませんが、井筒和幸監督の「パッチギ!」がキレイゴトに見えてしまうくらい強烈なインパクトを予告編の段階で与えてくれました。

だってねぇ、京都の古いお家って階段が異様に急なんですよ、それでもみんな手をつかずに登り降りするんです。海老みたいに腰が曲がったばあさんでも命がけでね。何でかっていいますと、手をついたら「四つ足のけものに成り下がってしまう」からなんですね。それくらい関西の部落差別って厳しいんですよ。

よく部落の人たちは行政に優遇されて云々とネットでは叩かれたりしてるんですが、第三者の私から見ても民間企業には力一杯冷遇されます。っていうか会社に入れません。入ってバレたら追い出されます。
よく在日朝鮮人の人が会社内で差別的待遇を受けて云々という話はいろんなところで騒がれますがこれは「会社の中」で個人間での差別しか存在しません。企業は彼らには基本優しいです。

ところがこれが部落の人となると会社ぐるみというか「法人が」差別を仕掛けてくるんですね。この状態が「まだ残ってる」じゃなくてグローバリゼーションやら自己責任論やらで「近年さらに強化されてる」んですわ。話が長くなるんで本題に入ると

こちらの方 が他の人が書いた上の映画の批評に対して「もう我慢できね~~!!」ってガチでキレて文句言ったんですね。

その記事が こちら

細かい内容は置いといてこのお二方の考え方の相違点としてあげられるのが「加害者意識」「被害者意識」です。

映画に文句たれてる人の方は「はじめに脅威ありき」で「被害にあったらどうしよう、身を守らなくっちゃ」というのが行動原理として存在しますし、それに対して抗議した方の場合は「自分が誰かを傷つけていないかという自覚を持とう」というのが意見の根底にあるんですね。

それで抗議に対してケチつけた方が放ったコメントが「自分がどれだけ善良か」をアピールするものでありまして、私このやりとりを拝見して椅子から転げ落ちましたよ。ここではこの人のパーソナリティについてどうこう語りませんがあえて言うと

「愛書婦人会」の人は心が幼い

ということです。
なお、この「幼い」というのは絶対的に幼いのであって、他者と比較相対的に幼いわけではございません。
「被害者意識にかられた人々」がホメオパシーやらの擬似科学よりも社会にとって脅威であるという自覚を持って欲しいもんですわ。