黒人我命
え~、いつも楽しく拝見してる漫画家の望月三起也氏のファンサイト「月刊望月三起也」なんですが、今月の企画は「私が選んだヒロイン」ということで同氏のマンガの中のヒロインをアレコレと編集者さんが選んで紹介し、望月先生ご本人もコメントをよしてらっしゃいます。
こちら
んで、同氏のマンガというのがアフリカを舞台にした作品が多かったり何やかんやで黒人女性のキャラが多数登場してるので当然黒人女性に関する話題が飛び交い、最後の望月先生のコメントにいたっては
黒人ねーちゃんのお話ばっか
私自身が「三度の飯より黒人が好き」というくらいの黒人マニアでございますので今回の企画は本当に私のための企画と言ってもいいくらい面白かったです。そして望月先生の描く黒人ねーちゃんは服を着てるとスレンダーで脱ぐとムチムチしてるという黒人女性(男性も)の体つきを アメリカのマンガでも決してあり得ないくらいの究極のリアリティ で再現しておりました。
興味のある方は実際の黒人ねーちゃんの水着ショットと望月先生のイラストを比較してみてください。
こちら
あと、関係ないんですが私は「新ワイルド7」のメンバーで京都生まれの黒人ヒロイン「エンゼル」はこの人がモデルなのでは?と思っております。60年代後半にアメリカで活躍した政治活動家(今は大学教授)のアンジェラ・デイビス
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んで、同氏のマンガというのがアフリカを舞台にした作品が多かったり何やかんやで黒人女性のキャラが多数登場してるので当然黒人女性に関する話題が飛び交い、最後の望月先生のコメントにいたっては
黒人ねーちゃんのお話ばっか
私自身が「三度の飯より黒人が好き」というくらいの黒人マニアでございますので今回の企画は本当に私のための企画と言ってもいいくらい面白かったです。そして望月先生の描く黒人ねーちゃんは服を着てるとスレンダーで脱ぐとムチムチしてるという黒人女性(男性も)の体つきを アメリカのマンガでも決してあり得ないくらいの究極のリアリティ で再現しておりました。
興味のある方は実際の黒人ねーちゃんの水着ショットと望月先生のイラストを比較してみてください。
こちら
あと、関係ないんですが私は「新ワイルド7」のメンバーで京都生まれの黒人ヒロイン「エンゼル」はこの人がモデルなのでは?と思っております。60年代後半にアメリカで活躍した政治活動家(今は大学教授)のアンジェラ・デイビス
嘘から出た真
【うそからでたまこと】
実際には無かったはずの事実が実在していた様。
このパターンはイギリスのミステリー映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコックの得意技であり、このブログの主fabrice氏がミステリー風のお話を考えると無理やりにでも組み込んでしまうパターンである。
実際には無かったはずの事実が実在していた様。
このパターンはイギリスのミステリー映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコックの得意技であり、このブログの主fabrice氏がミステリー風のお話を考えると無理やりにでも組み込んでしまうパターンである。
判例法原理主義
大阪市長の橋下元帥がナベツネの「橋下はヒトラー」発言に対して「私がヒトラーなわけないじゃないか」と反論したそうだ。むっちゃどうでもいい。
それはいいとして橋下元帥が「私がヒトラーなわけない」と言った根拠を一体日本国中でどれだけの人が理解しているだろうか?
彼の根拠はズバリこれだ
ヒトラーが政権を取った国はドイツだ。ドイツとフランスは昔から「ゲルマン法体系」といって法律がカチッと決まってて例えば「おやつは300円まで」と決まったら何があっても300円まで、という法律の解釈をするのが決まりだ。
それに対してイギリスを中心にアメリカで採用され橋下のお仲間の弁護士連中が信奉してる法体系は「判例法」なのだ。
判例法とは裁判の判決の結果によって法律が変わっていく法律のしくみだ。例えば「おやつは300円まで」と決めていても誰かが301円分おやつを買ってきたとする。そうすると今度から1円くらいならオーバーしても問題ない、という風に基準が変わるわけ。
ゲルマン法というのは様々な民族や宗教が独自の価値観を持って混在する社会においてそれらへの法律の干渉を最小限にするために考えられた法体系。「とりあえず(形だけであっても)決められたことをキッチリ守りさえすればよい」という考えだ。だからこれの弱点はいかがわしい輩のいかがわしい行動でも形だけ法律を守ってさえいれば「適法」となってやりたい放題になる、これがナチスやヒトラーを生んだ元凶なのでリベラル(笑 な人たちは目くじらたててこの法体系を嫌う。
そしてやっぱり橋下やそのお仲間や信者たちもこれを嫌う。こいつらはアングロサクソン・マンセーなやつらだからな。「ベルギーのビールよりもイギリス人のションベンの方がうまい」と真顔で言いそうな連中だと思う。判例法の弱点は非常に説明が簡単。無理が通れば道理が引っ込むということだ。これを最大限に利用してやりたい放題というのが彼らの言う「維新」である。
私が国家としてのイギリスを全く信用していない理由は憲法が不文憲法と言って文言で残ってない。そして法律は判例法で無理が通れば道理が引っ込む。そして議会制民主主義は議会に議員を送り込むことができない層の意見は当然全く通らない。口が達者な政治家や法律に明るい人間にとっては本当に天国みたいなところだろう。
橋下とその手下どもは私の目には「体力に自身の無いショッカー」くらいにしか映らないが、それに対向しようとしてああだこうだ言ってる人たち(いわゆる「リベラル」)もおそらく彼らと一緒で「判例法主義だったらナチスやヒトラーは絶対生まれないもん!」と信じて疑わないだろうし議会制民主主義に絶大な信頼を置いてるだろ。
つまり橋下及び維新の会とそれらに対向してるリベラルさんたちは同じ価値観を共有してるのだ。
となると実質的に力を持ってる方の維新の会が100戦100勝するのは目に見えている。
ああ言ってもこう言っても考え方の土壌が一緒なら最後には飲まれる。
まぁ、そこら辺を押さえて策を講じてがんばってください。
あ、そういやネットウヨクも「無理が通れば道理が引っ込む」の発想好きでしたよね。同じ人たち(つまり弁護士連中の集まり)だったの?(笑
それはいいとして橋下元帥が「私がヒトラーなわけない」と言った根拠を一体日本国中でどれだけの人が理解しているだろうか?
彼の根拠はズバリこれだ
ヒトラーが政権を取った国はドイツだ。ドイツとフランスは昔から「ゲルマン法体系」といって法律がカチッと決まってて例えば「おやつは300円まで」と決まったら何があっても300円まで、という法律の解釈をするのが決まりだ。
それに対してイギリスを中心にアメリカで採用され橋下のお仲間の弁護士連中が信奉してる法体系は「判例法」なのだ。
判例法とは裁判の判決の結果によって法律が変わっていく法律のしくみだ。例えば「おやつは300円まで」と決めていても誰かが301円分おやつを買ってきたとする。そうすると今度から1円くらいならオーバーしても問題ない、という風に基準が変わるわけ。
ゲルマン法というのは様々な民族や宗教が独自の価値観を持って混在する社会においてそれらへの法律の干渉を最小限にするために考えられた法体系。「とりあえず(形だけであっても)決められたことをキッチリ守りさえすればよい」という考えだ。だからこれの弱点はいかがわしい輩のいかがわしい行動でも形だけ法律を守ってさえいれば「適法」となってやりたい放題になる、これがナチスやヒトラーを生んだ元凶なのでリベラル(笑 な人たちは目くじらたててこの法体系を嫌う。
そしてやっぱり橋下やそのお仲間や信者たちもこれを嫌う。こいつらはアングロサクソン・マンセーなやつらだからな。「ベルギーのビールよりもイギリス人のションベンの方がうまい」と真顔で言いそうな連中だと思う。判例法の弱点は非常に説明が簡単。無理が通れば道理が引っ込むということだ。これを最大限に利用してやりたい放題というのが彼らの言う「維新」である。
私が国家としてのイギリスを全く信用していない理由は憲法が不文憲法と言って文言で残ってない。そして法律は判例法で無理が通れば道理が引っ込む。そして議会制民主主義は議会に議員を送り込むことができない層の意見は当然全く通らない。口が達者な政治家や法律に明るい人間にとっては本当に天国みたいなところだろう。
橋下とその手下どもは私の目には「体力に自身の無いショッカー」くらいにしか映らないが、それに対向しようとしてああだこうだ言ってる人たち(いわゆる「リベラル」)もおそらく彼らと一緒で「判例法主義だったらナチスやヒトラーは絶対生まれないもん!」と信じて疑わないだろうし議会制民主主義に絶大な信頼を置いてるだろ。
つまり橋下及び維新の会とそれらに対向してるリベラルさんたちは同じ価値観を共有してるのだ。
となると実質的に力を持ってる方の維新の会が100戦100勝するのは目に見えている。
ああ言ってもこう言っても考え方の土壌が一緒なら最後には飲まれる。
まぁ、そこら辺を押さえて策を講じてがんばってください。
あ、そういやネットウヨクも「無理が通れば道理が引っ込む」の発想好きでしたよね。同じ人たち(つまり弁護士連中の集まり)だったの?(笑
それ洗脳ですやん
いや~、口パクで話題の校長先生を検索してたらその主張がワロタ
こちら
この大将の発言の目玉はコレだ!
「海外ではlogical thinking、critical thinkingを小学校くらいから勉強しますよね。論理のパターンを教えます。」
ここだけ「アメリカでは」という風に書かないんですよ。どこの国?って感じなんですが、ロジカル・シンキングとかクリティカル・シンキングってつまり「考え方」を学校で教えるってことですわな。考え方まで学校で強制するってどこの国よ?って思うんですけどね。
それ洗脳って言わないか?
何べんも書きますが私が小学校の頃はベトナム戦争に負けてアメリカは本当に弱ってた時代だったんですね。そこで日教組のセンセェは調子に乗って「アメリカは日本に原爆を落とした悪い国です。好きになってはいけません!」と論理の強制を行いました。ついでにアメリカと戦争することも示唆するような発言もしてたなぁ。まぁ、これはこのセンセェの個人的な願望で日教組関係ないんでしょうけど。
ところが幼少の頃の私はサンテレビで垂れ流されるアメリカの三流映画とかアメリカン・ニューシネマの諸作品が生きがいの子供だったのでアメリカを嫌いになるのを強制されるのは「死ね」と言われるのと同じ意味合いだったんですね。本当に辛かったんです。
社会的に地位のある大人が罪もない(アメリカが好きであるということがこのセンセェにとっては罪だったようだが)お子様に死を宣告できる拷問の場として学校は本当にうってつけの場であるということなんでしょう。こいつらが狙ってるのは「教師」だけではなくて「生徒達」というのがわかりますな。
それとここで注目してほしいところですが「私はどこそこの大学で学んでその後どこそこに逝って~」といった感じで世界を渡り歩いてるように仰っておいでですが
果たして彼が渡り歩いた世界とは全て商社のオフィスみたいなところで全員ネクタイ絞めたスーツ姿の連中だけの世界だったのでした
工事現場の玉掛け(どデカい鉄玉な)作業やってる人相手に論理的思考がどうのとか言われても出てくる結論は「安全第一」だけなんですよ。ボーリング作業(boring;地面に穴あけるヤツな)やってる人たちに「批判的精神が云々」とか話かけた日にゃ「穴ん中放り込むど!!」と怒鳴られるのがオチなんですね。どこの国行ったってそう。
彼が言うような「論理的思考」だの「批判的思考」だのが彼が校長を務める学校に通う全ての生徒さんの人生にはたして必ず「なくてはならないもの」なのかどうか甚だ疑問ではありますね。もちろん全く必要ないもの、と切って捨てるのも乱暴ですが。
なにしろ私が通った高校なんてのは明治時代の変な学派の思想が未だに残ってて「アメリカ英語は品格が無いからイギリス英語を学びましょう」とか言って無理やりイギリス英語習わされたりしたし(笑 何かそれと大して変わらん印象を受けましたね。
「全ての教育は大人の自己満足である」というのがその頃からの私の持論です。あ、私この当時、英語の成績は何故か学年トップでした。勉強なんか一個もしてなくてアメリカ大好き、イギリス大嫌いだったけどね(笑
んで、私がこれは本当にためになると思ってる思考というか考え方は「掃除、道具の手入れ、これができないヤツはダメな男」っていう職人気質の考え方ですね。これアメリカの人も全く同じ亊言ってたし。
それとこれは東大阪の小さな町工場からそこそこ大きな会社までにした職人気質の社長さんが言った言葉。
「電ドラ(電動ドライバー)やら電動の便利な道具ばっかり使(つこ)とったら頭も電動になってまうど」
です。思考云々や無くて実際に自分の手を使って(実践で)感触を確かめないと頭は良くならないということですわ。ネクタイしめて涼しい部屋で「ああだ、こうだ」言うてるだけの人間はダメ言うことらしいです(笑
こちら
この大将の発言の目玉はコレだ!
「海外ではlogical thinking、critical thinkingを小学校くらいから勉強しますよね。論理のパターンを教えます。」
ここだけ「アメリカでは」という風に書かないんですよ。どこの国?って感じなんですが、ロジカル・シンキングとかクリティカル・シンキングってつまり「考え方」を学校で教えるってことですわな。考え方まで学校で強制するってどこの国よ?って思うんですけどね。
それ洗脳って言わないか?
何べんも書きますが私が小学校の頃はベトナム戦争に負けてアメリカは本当に弱ってた時代だったんですね。そこで日教組のセンセェは調子に乗って「アメリカは日本に原爆を落とした悪い国です。好きになってはいけません!」と論理の強制を行いました。ついでにアメリカと戦争することも示唆するような発言もしてたなぁ。まぁ、これはこのセンセェの個人的な願望で日教組関係ないんでしょうけど。
ところが幼少の頃の私はサンテレビで垂れ流されるアメリカの三流映画とかアメリカン・ニューシネマの諸作品が生きがいの子供だったのでアメリカを嫌いになるのを強制されるのは「死ね」と言われるのと同じ意味合いだったんですね。本当に辛かったんです。
社会的に地位のある大人が罪もない(アメリカが好きであるということがこのセンセェにとっては罪だったようだが)お子様に死を宣告できる拷問の場として学校は本当にうってつけの場であるということなんでしょう。こいつらが狙ってるのは「教師」だけではなくて「生徒達」というのがわかりますな。
それとここで注目してほしいところですが「私はどこそこの大学で学んでその後どこそこに逝って~」といった感じで世界を渡り歩いてるように仰っておいでですが
果たして彼が渡り歩いた世界とは全て商社のオフィスみたいなところで全員ネクタイ絞めたスーツ姿の連中だけの世界だったのでした
工事現場の玉掛け(どデカい鉄玉な)作業やってる人相手に論理的思考がどうのとか言われても出てくる結論は「安全第一」だけなんですよ。ボーリング作業(boring;地面に穴あけるヤツな)やってる人たちに「批判的精神が云々」とか話かけた日にゃ「穴ん中放り込むど!!」と怒鳴られるのがオチなんですね。どこの国行ったってそう。
彼が言うような「論理的思考」だの「批判的思考」だのが彼が校長を務める学校に通う全ての生徒さんの人生にはたして必ず「なくてはならないもの」なのかどうか甚だ疑問ではありますね。もちろん全く必要ないもの、と切って捨てるのも乱暴ですが。
なにしろ私が通った高校なんてのは明治時代の変な学派の思想が未だに残ってて「アメリカ英語は品格が無いからイギリス英語を学びましょう」とか言って無理やりイギリス英語習わされたりしたし(笑 何かそれと大して変わらん印象を受けましたね。
「全ての教育は大人の自己満足である」というのがその頃からの私の持論です。あ、私この当時、英語の成績は何故か学年トップでした。勉強なんか一個もしてなくてアメリカ大好き、イギリス大嫌いだったけどね(笑
んで、私がこれは本当にためになると思ってる思考というか考え方は「掃除、道具の手入れ、これができないヤツはダメな男」っていう職人気質の考え方ですね。これアメリカの人も全く同じ亊言ってたし。
それとこれは東大阪の小さな町工場からそこそこ大きな会社までにした職人気質の社長さんが言った言葉。
「電ドラ(電動ドライバー)やら電動の便利な道具ばっかり使(つこ)とったら頭も電動になってまうど」
です。思考云々や無くて実際に自分の手を使って(実践で)感触を確かめないと頭は良くならないということですわ。ネクタイしめて涼しい部屋で「ああだ、こうだ」言うてるだけの人間はダメ言うことらしいです(笑
大阪市三十六房
どうも橋下お兄さんにとって「市役所」とは少林寺みたいなところだと思ってる節がある。
このお話でも少林寺での修行というのが「お前は今まで甘えすぎじゃ」とばかりに厳しくて、主人公が清を倒して明を復興しようとすると「そういう政治活動を行うなら少林寺(山の中にある)から下山せよ」と住職から言われてたんですよね。
ということは橋下の得意な武器や技はなんなんだろう?
三節棍は主人公の劉裕徳しか使って無かったし棒術か?槍か?青龍刀か?
あ、口からでまかせか?